アトランティカ RMT大正から昭和にかけて、学生の間ではやった「デカンショ節」が取り持つ縁で千葉県館山市と兵庫県篠山市が25日、東京都内で災害時の「相互応援に関する協定」を結ぶ。
歌を通じて長く続いてきた両市の交流が、東日本大震災を機に、より緊密な関係へと発展することになった。
「デカンショ、デカンショで半年暮らす」で知られるデカンショ節は、篠山生まれの館山育ちとされる。明治31年(1898年)、旧篠山藩主が定宿としていた江戸屋旅館(現在の館山市八幡)で、篠山出身の若者たちが篠山の盆踊りの民謡歌を大声で歌っているのを、同宿の旧制一高(現・東京大)の水泳部員が聞きつけ、一緒に歌った。一高生が東京に持ち帰り、やがて「デカンショ節」として全国に広まったとされる。
この歌を縁に、両市の観光協会は、1978年から姉妹都市提携し、観光面で交流を重ねてきた。80年には一高水泳部OBらが発起人となり、旅館跡地に「デカンショ節発祥の地」の石碑が建てられた。篠山市では旧篠山町時代から半世紀余り、毎年夏に「デカンショ祭」が行われてきた。
今年3月の東日本大震災を機に、災害時の相互応援について、市同士で協議が進み、協定を結ぶことにした。RMT館山市がこうした協定を結ぶのは、2007年に山梨県笛吹市と締結して以来2例目。盛り込む予定の災害時の市職員派遣まで踏み込むのは初めてという。
25日は、館山市の金丸謙一市長と篠山市の酒井隆明市長が出席し、東京・平河町の全国都市会館で協定書に調印する。